愛娘-出産まで

11月5日、8日入院予定前の検診でした。(37週3日目)
8日入院決定していたのは、逆子のため帝王切開が決まっていたからです。
病院Aとしておきます。
5日午前の検診へ行き、超音波検査のあと性別を見てくれようとして内診しました。
そして判明したのが[1:子宮口が2センチ開いている]。
[2:赤ちゃんのお尻にコブのような異物がある。]
この2点の時点で性別所の話ではなくなりました。
特に2が大問題でした。
見てくれていた男性の先生が急いでほかの産科の先生を呼んでいます。
そして来て見てくれた女性の先生が驚いていて、更に別の病棟にいた先生も呼びます。
合計3人の産科医に見てもらって、結果【仙尾部奇形腫】か【脊髄髄膜瘤】が疑われるとのことです。
そして子宮口が開いているので緊急入院です。
車いすに乗せられ絶対安静を言い渡されました。


車いすに乗せられた時、ご家族に来てもらうようすぐに連絡してくださいと言われます。
夫には仕事中断してこられないか連絡を入れました。
実家近くの病院だったので、母にも連絡を入れました。
4日のうちに入院する書類や必要なものを用意しておいたので持ってきてもらうよう母に頼みました。
その後、病室に行きベッドに移って寝ているよう指示されます。
トイレだけはOK頂きました。
13時からMRI検査を急きょ受けて下さいと言われます。
13時になる前に母が荷物を持ってきてくれました。
多分連絡を入れた時点で何かを察してくれたのだと思います。
母も病気をもった子を産んでいる経験があるので下手に慰めようとしないだけ私も冷静でいられました。
むしろ落ち込むようなそぶりを見せれば怒られましたw
落ち込んでいる暇があるなら前を見て子供のために調べていい方向へ進みなさいと。


MRIを取ってもらい、とにかく家族がこないと何も話はできないということで夫を待ちました。
夫が着いたのは16時過ぎ辺りであったと思います。
その間に私は疑いのある病気2種をネットでひたすら調べてどちらであっても覚悟を決めました。
どちらでも泌尿器の障害は出やすくというか確実に出る、最悪足が悪く歩けないということも含めてです。
脊髄髄膜瘤であればさらに水頭症や一番最悪なキアリ奇形が出るという可能性も。
その時の心情は本当に辛いものでした。
私が判断したことはなぜこうもマイナスに働くのか、しかも私に異常があるわけではなく子供にいくとは、本当に神も仏もない。と
いまもですが、産みたいと願った自分をひたすら責め続けています。


夫が病院に到着後、しばらくして先生に呼ばれMRI画像を見せられます。
その画像をみた時点で私は脊髄髄膜瘤であると確信しました。
先生は多少言葉を濁して脊髄髄膜瘤の可能性のほうが高いと言っていました。
明らかにコブが脊髄に続いていたので、可能性どころか確定だと心の中では思っていました。


その後ベッドに戻って夫と話しました。
どういう状況であるか、赤ちゃんの今後どうなるか。
だいたい妹を見てきているので未来は予想できていたので話をしました。
その後しばらくすると先生が来て、一応この病院で出産を考えてはいますが、産まれてもすぐ子供専門の病院に転院となり、母子別れて入院になる事。
また、子供のことを優先すると子供専門の病院に産まれる前に転院したほうがいい事。
その為に転院先の医師に確認をとっていますという話をされました。
夜でしたので、先の医師にはまだ伝わっていないと思います。
一応午前中に手術準備は進めつつ、転院先の先生と話をすすめるという結論になりました。


その日の検診から何も口にしていなかったのですが、次の日手術予定ということもありそのまま何も食べずにいました。
OS-1だけだされて、朝6時までに2リットル飲んでおいてくださいとだけ言われました。
また、子宮口がすでに2センチ開いていたので、陣痛がこないように抑える為の点滴を始めました。


次の日11月6日も夫には休んでもらい、付き添ってもらいました。
朝の時点では転院するかどうか決まっておらず、手術着に着替えます。
11時ころ、転院予定先の先生との話が着き、こどもを優先に考えるなら転院が望ましいとの意見が一致したとのことで13時着予定で転院先の病院へ搬送が決まりました。
病院Bとしておきます。
また着替えて待機していました。
12時半頃救急車の手配ができ、夫と乗り込んで病院Bへ。


病院Bへ着いた途端に分娩室へ連れていかれ、ひたすら検査です。
エコーもかなり長時間見られていました。
心電図、エコー、内診、レントゲン、一通りやり終えてから夫も呼ばれ話をしました。
間違いなく二分脊椎(脊髄髄膜瘤)ということで、この病気はどういうものか、将来的にどういう障害がでるかという話を一通り話してもらいました。
ほぼ予想通りでした。
子供の為には最終的にこどもを専門で見ている病院へ移るため、一時的に病院Bへ預かりとなります。
最終的に移る病院をCとします。
土日だと病院Cは医師の数が不足するため、危険だということで関連のある病院Bへ3泊だけしました。
万が一この間にも陣痛が起きるといけないので、陣痛を抑える点滴を引き続き入れていて、もちろんトイレ以外は絶対安静と、少しでも異変があれば呼ぶように言われました。


この3泊中も夫は来てそばにいてくれました。
いない夜などは、いろいろ調べてもやはりいい情報はなく沈み込むばかりでした。
ただ、沈み込んでも良い事はないので気持ちを切り替える努力はしていました。
寝て覚めて夢であればと何度も思いながら時間が過ぎていたような気がします。
ただ、元気に動いているおなかの中の子供にずっと支えられていました。


11月9日無事に陣痛もなくこの日を迎えられました。
夫はもともと9日に出産予定でしたので有給を取っていたのでついていてくれました。
また、10日は産まれてくる赤ちゃんの手術の予定も組まれていたので休みをとってもらいました。
朝8時に搬送が決まっていて荷物をまとめて待ちます。
夫は今回一緒に乗らず病院Cへ先に行ってもらうよう指示がありました。
救急車の手配が済んで、15分ほどで着いたと思います。
すぐ病室へ運ばれ、病室内で検査が始まりました。
(病院が変わるたび同じ検査をするのは無駄だよなと思ったけれど、病院によって仕様が違うので仕方がないようです)
その日の13時に手術室へ入り、帝王切開での手術が決まりました。
逆子でほぼ帝王切開が決まっていましたが、脊髄髄膜瘤は逆子でなくても帝王切開はほぼ決まりです。


午前のうちに麻酔に対する説明、手術に関する説明、各々の同意書等終わりいざ手術室へ
車いすで移動し、夫と母から激励を受けて入室。
まずは麻酔から。
手術用ベッドは体の幅ぐらいしかなく本当に狭いですね。
その上で横になり膝を抱える格好で背中を丸めます。
そして背中の腰の少し上のあたりから麻酔をかけます。
半身麻酔なので胸から上は感覚がある状態。
一気に下半身がしびれるような感じがして動かせなくなりました。
仰向けにされて両手を広げてバンドで止められます。
実際に麻酔科医が感覚があるかないか確かめていきます。
その間に息苦しさを感じて酸素マスクを30分ほどつけてもらいました。
30分から40分ぐらいでそろそろ出ますよと言って下さり、すぐに赤ちゃんの元気な鳴き声が聞こえました。
女の子ですよーと言われました。
すぐには、赤ちゃんの顔を見られませんでした。
髄膜瘤なので、腰のコブの保護を優先して下さったのだと思います。
しばらくしてタオルに包まれた赤ちゃんの顔を見せてもらいました。
触ってもいいですよと言ってもらい、頭をなでさせてもらいました。
本当に嬉しかったし、とてもかわいいと思いました。
最初に出た言葉は「子供をよろしくお願いします」でした。
自然に口に出していましたね。
子供はすぐに検査に回されます。後で聞いたのですが、夫も母も赤ちゃんの顔を見せられることはなかったそうです。
それぐらい処置を優先される病気ということなんでしょうね。


その後私はというと12センチの右卵巣嚢腫をかかえていたので、処置に入りました。
すぐに見える位置にあり、癒着もしておらず処置できたようです。
1時間過ぎたころからじわじわ胸のあたりの感覚が戻ってきていました。
だんだん下の感覚ももどるような感じがしてすごいドキドキしていました。
だいたいトータル1時間40分程で終了しました。
縫い終わり後、レントゲンを撮ってベッドに乗せられ病室に戻りました。


長いので一旦切ります。
続きはまた。